40代社会人大学院生、博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

晴れた日の新美術館でスラヴ叙事詩を鑑賞 「ミュシャ展」@国立新美術館

前日、下北沢での仕事を終えてそのまま東京に宿泊。朝の打ち合わせを終えて、午後からのプレゼンまで少し時間があったので、国立新美術館に行くことにした。

目的はスタートして間もない「ミュシャ展」。プラハにあるスラヴ叙事詩が日本に来るとのことで、昨年から話題になっていた展覧会である。この機会を逃すとスラヴ叙事詩は見られないかもしれない、と思って千代田線のホームに向かう。

 

乃木坂の駅から直結の階段を上ってチケット売り場に並ぶが、平日の11:00ということもあってか数分待っただけでチケットを購入できた。

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この日は朝から快晴で、外を歩いていても自然と足取りは軽くなる。 ガラス張りの新美術館には春の光が降り注ぎ、美術館の中をほどよい暖かさと明るさで満たしていた。

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ミュシャ展」は2階の展示室。展示室にも並ばずに入れる。

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展示室に入ってすぐにスラヴ叙事詩が高い壁にずらりと並んでいるのが目に入る。

実際に目の前にすると想像以上の大きさで、作品と少し距離を置かなければ全体を鑑賞することができない。展示室内にはそれなりに人がいたものの、こうした事情により、スラヴ叙事詩20点の鑑賞はさほど混雑が気にならなかった。スラヴ叙事詩より後のコーナーの小さな作品を鑑賞するほうがよほど大変。

これだけ大きな作品なので、じっくり観察しようと思えばオペラグラスや単眼鏡は必須。この日、単眼鏡を持っていなかったことを少し悔やんだ。

 

なお、スラヴ叙事詩5点については撮影可能となっている。もちろん大多数の人はここで撮影。私は美術館や博物館での撮影については賛成の立場だが(条件が許せば)、土日や展覧会終盤の混雑期に「ミュシャ展」の撮影可コーナーがどういう影響を与えるのか興味はある。確実に多くの人が来館する展覧会での一部撮影可、というのは試みとして今後のいい材料になるだろう。

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展示室を出たところに設けられているショップのレジは長い行列で、図録を買う予定だったが時間もないので諦めた(Amazonで注文した)。

 

カフェの限定メニューにも惹かれたが、こちらも昼食時で待ちが生じていたので断念。

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展覧会の鑑賞を終えても、新美術館にはまだ楽しみがある。建物の周りの散策である。この日のような天気だとなおさら。この美術館には青空と太陽が似合う。

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午後からのプレゼンにはいい状態で臨むことができ、結果もついてきた。新美術館で過ごした2時間のおかげだ。

下北沢の具だくさんスープカレーとずっしりベーグルで満たされた一日@ポニピリカ・LOOP BAGLE WORKS

仕事で1年ぶりに訪れた下北沢。実はカレー激戦区らしい。激戦区に来たからにはランチはカレーと決めて、駅周辺をウロウロしながら一番気になったのはおじさんの横顔のイラスト。

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入口のメニューを眺めているうちに口と胃はすっかりスープカレーモードになり、このポニピリカに入ることに。

週替りスープカレー、サラダ、ドリンクで1,000円のランチセットがあったので、こちらを注文する。ライスは量を選べるうえ、おかわりも自由。カレーの辛さももちろん選べる。

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店内はエスニック風だが、それで統一されているわけではなく、クイズマシーンや御札などもあって少しカオスな感じが下北沢らしい。

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少し待って運ばれてきたスープカレーは見るからに具だくさん。人参、大根、オクラ、ほうれん草、チキン、キクラゲ、豆苗などが入っていて食べ応えもある。なかでも皮付きのじゃがいもは、じゃがバターで食べてみたいほど濃厚な芋の味だった。

和風の味(ダシ)とスパイスのバランスが絶妙なスープカレーは深みがあって癖になりそう。このカレーの味にはなかなか出合えないと思う。

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雑穀米にトッピングされるゆで卵がうれしい。

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通常メニューは少し高めだが、エゾシカハンバーグのカレーなどもあって再訪欲が高まる。近所にあったら定期的に食べたいスープカレーだ。

 

スープカレーの後はベーグルを買うために南口のLOOP BAGLE WORKSへ向かう。 

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ベーグル専門店(テイクアウト)のLOOP BAGLE WORKSでは、基本のベーグル(プレーン、チーズ、ブルーベリー、バジルなど数種類ある)が200円で販売されている。ベーグルはかなり大きく、持つとずっしりしているのがわかる。200円でこのサイズは安い。

今回は夕食にそのまま食べたが、生地がいい意味で主張しすぎない味なので、ツナやトマトなどをサンドして食べてみたい。

ちなみにLOOP BAGLE WORKSにはサンドもある。このベーグルのサンドだと1個でも1食分になりそう。

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この日は下北沢のスープカレーとベーグルで胃も心もすっかり満たされた。食べ物がおいしい街は、いい。 

 

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10年前に亡くなった先輩を訪ねて冬の終わりを感じた日

先日、大学の先輩Aさんが急逝しました。それ以来、湯船に浸かったり布団に入って目を閉じたりするたびに大学時代のことを思い出し続けています。

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私が所属してた研究室は、国立大学でもあり、学部生から大学院生まで含めて30人ほどの大きくない所帯でした。今回はそのうちの1人が亡くなったのですが、10年ほど前にも別の先輩Dさんがこの世を去りました。40歳そこそこの年齢で大学時代を共に過ごした数少ない人を2人も失ってしまったのです。

今回の件ではDさんとのさまざまな出来事も思い起こすことになり、葬儀以来、足が遠のいていたDさんの元を訪ねることにしました。

 

墓参したことがある友人に連絡を取って、墓地の場所を聞いてみたものの明確な答えは得られませんでした。分かったのは、墓地が寺院や公的機関が経営するものではなく集落で管理されているような小規模なものだということ、その墓地はDさんの実家の近くということです。

Dさんの実家は四国某所にあり、葬儀に行った記憶を頼りにgooglemapsを開いておおよその場所を確認、とりあえず実家付近を目指すことにしました。行って近くで墓地を探せばなんとかなるだろうと思ったのです。

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寒さも和らぎ青空の広がっていた先日、車で瀬戸大橋を渡り、Dさんの実家方面に向かいました。10年前に見た景色が少しづつ思い出されてきて、途中からはgooglemapsを開かなくても実家の近くにたどり着くことができました。

車のスピードをかなり落として周辺の風景に注意を払っていると、右手に墓地が見えてきました。小さな集会所と小堂のそばに10基ほどの墓石が並んでいます。

「ここだ」という直感を頼りに車を停めて、墓石を1つずつ確認しながら敷地を周ります。しかし、Dさんの名前はどこにもありません。念のため墓地をもう1周しましたが見当たりません。Dさんの墓はここには無いようです。

 

諦めてハンドルを握り直し、ゆっくりと車を進めていると小高い丘の上の墓地を発見しました。今度は半信半疑で墓地に入り、墓石を確認していきますが、ここにもDさんの墓はありませんでした。

 

運転席に戻って少し考えた末、市役所の支所を訪ねることにしました。支所の窓口で訳を説明して住宅地図を見ながら墓地の場所をいくつか教えてもらいます。地図を眺めていると、この地域では小字(地区)ごとに墓地が設けられていること、墓地には集会所と小堂がセットになっていることが見えてきました。

Dさんの実家の小字名を冠したは集会所を住宅地図で探し、その傍らに墓地もあることを確認しました。その位置をgooglemapsに落として再び車を走らせます。

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目的の墓地は車1台が通るか通らないかの狭い道の奥、住宅に囲まれた中にありました。車でウロウロしていても見つけられないはずです。

Dさんの墓は入口から数えて6基目でした。手入れの行き届いた墓石の花立には梅の枝が2本ずつ差してあります。青空に映える瑞々しい枝の表面と張りのある白い花。この日、冬の終わりを感じました。

安堵しながら手を合わせて、Aさんが亡くなったことを報告し、10年間来ていなかったことを詫びます。焼肉をおごってもらう約束はどうなったのかと問うことも忘れずに。

 

MY LITTLE LOVERと目玉焼きハンバーグ ―急逝した先輩との思い出

大学の先輩Aさんが亡くなりました。一昨日、急遽病院に搬送されてそのまま。40歳を少し過ぎた年齢です。

ある病気が原因ですが、前日まで元気だったそうで病気であることに誰も気づいてなかったようです。おそらく本人も。

 

Aさんは私の1歳年上で同じ研究室に所属していました。Aさんの誰に対しても同じ態度で接するところを尊敬していました。語学が堪能なAさんは1年間休学してイギリスに留学していたので、途中から私と同学年となり一緒に卒業を目指すことになります。

 

毎週聴き続けたMY LITTLE LOVER

大学入学時に英語力の無さを痛感した私は、専門的な英書を読む外書講読の授業が苦手でした。授業前の予習に辞書を引きながらかなりの時間を要しても、当日の授業の半分は理解できないような状態です。

授業についていくために、毎週、友人と一緒にAさんの部屋に上がり込んで予習のノートを見てもらうことになりました。その際、部屋で常にかかっていたのがMY LITTLE LOVER(現My Little Lover)のデビュー・アルバム「ever green」です。

毎週聴くうちに私もCDを買ってしまい、CDウォークマンにセットして持ち歩いていました。

無事取れた外書講読の単位は、MY LITTLE LOVERのファンになったこととの引き換えみたいなものです。

 

卒論と共にあった目玉焼きハンバーグ

卒論執筆が本格化する4年生の夏からは、毎日のように研究室でAさんと共に卒論に向き合っていました。

12月になると、卒論・修論を抱えた学生は研究室にほぼ泊まり込み状態になります。

この頃、私と友人は23:00になるとAさんを誘って、夜食と散歩を兼ねて毎晩近くのガストに出かけていました。冷たい空気の中をポケットに手を入れて、くだらない話をしながら店までの道を並んで歩いていたことを思い出します。

店内に入り、席に着いてみんなが注文するのは決まって目玉焼きハンバーグとライス。ガストのメニューの中でも低価格の組み合わせですが、裕福ではない私たちにとってはそれでも安くない食事でした。それを「卒論の追い込みだから」「気分転換だから」と言い訳しながら、毎晩贅沢をしていたのです。

 

目玉焼きハンバーグは無く、MY LITTLE LOVERを聴く今

Aさんの訃報を聞いて以来、大学時代のことがディテールとともに蘇ってきます。久しくガストにも行ってなかったのですが、今こそ目玉焼きハンバーグを食べる時だ、と思い立ったのが今日の夕方。車を停めてネットで検索してみると、なんとメニューから目玉焼きハンバーグが消えていました……。

ガスト<グランドメニュー>17.02.07現在

 

仕方がないので目玉焼きハンバーグはあきらめて、押入れの奥の何年も開けていないCDボックスを引っ張り出し、こんなの持っていたかな、というようなCDを繰ってevergreenを見つけ出しました。今、ヘビーローテーション中です。

リジェクトされた論文を別の雑誌に投稿してレモンパイを崩す夜

今、レモンパイをフォークで崩しながらこの記事を書いています。論文を無事提出して、夕食の買い出しついでに買って来たレモンパイです。

提出したのは年末にリジェクトされた論文を大幅修正したもの。リジェクトのメールを開いてからしばらくは呆然としていました。内容に自信もあったので……。

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リジェクトされた論文のテーマに見切りをつける

見たくないメールを受信してから数日を経て、冷静に考えて別の投稿先を探すことにしました。

同じ雑誌に再投稿する道もあるのですが、査読コメントに納得がいかない点や、私がこの学会の「作法」を身につけるまでに時間がかかる点を考慮しました。そしてなにより、この研究テーマに一旦見切りをつけたのです。

1年前の私は研究テーマを、A(本命)、B(対抗)の2つ掲げていました(実はもう1つありますが)。リジェクトされた論文はテーマBです。

A・Bどちらかのテーマで早いうちに成果を出して大学院に進学する予定でしたが、今回リジェクトされたことでテーマBについては諦めがつきました。このテーマでのネタはいくつかあり、しばらく研究を続けられそうな見通しも持っていますが封印することにしました。老後の楽しみに取っておきます。

 

論文を別の雑誌に投稿

このため、今回の論文は早いうちに世に出して「成仏」*1させるのがいいだろうと判断しました。早く出してもらえそうなところに相談し、投稿を受け付けてもらえることになりました。編集部の判断で掲載の可否が決まる「紀要」的な雑誌です。

厳しい査読がないとはいえ、一度はリジェクトされた論文なので大幅に修正し(一応査読コメントも参考にして)、投稿先の雑誌のスタイルに整えて、今日の夕方にメールで送信しました。

 

編集部の方は「内容的には問題ないと思う。もし掲載できなくても別の雑誌を紹介する」と言ってくれました。捨てる神あれば助ける神あり、とはこのこと。

 

初めて買ったレモンパイは甘さと酸味のバランスがいい感じです。

*1:Twitterのフォロワーさんの言葉をお借りしました。この状態を表すのに絶妙。

冬と言えばカキオコ。大粒の牡蠣と鉄板上でのパフォーマンスを楽しむ。@安良田(岡山県備前市)

冬になると必ず通う場所があります。岡山県の東部、兵庫県との県境にある備前市日生(ひなせ)です。目的は牡蠣のたっぷり入ったお好み焼き・カキオコ。

牡蠣の養殖が盛んな日生にはカキオコを食べさせてくれる店がいくつもあり、牡蠣のシーズンになると週末は小さな港町がたくさんの人で賑わいます。

 

この日も12:00前に訪れたにも関わらず、店の外にはすでに行列が。

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私がひいきにしている安良田(あらた)では、大粒の牡蠣10個程度を鉄板で焼き、それを生地の上にのせて焼きます。

 席は鉄板周りのカウンター(と呼べるほどスペースはありませんが)とテーブルがありますが、鉄板周りのほうが、あらたをより楽しめます。というのも、店を回している女性の方々(日生では「おねえさん」と呼ぶらしいです)の口と手のパフォーマンスを間近で体感できるからです。

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下から、生地、キャベツ、牡蠣、生地の順。焼けると、ひっくり返して卵の上にのせて出来上がりです。

ネギたっぷりがうれしいですね。

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お好み焼きの形が崩れるほどの大粒の牡蠣は濃厚で、ソースに負けていません。むしろバランスが取れています。1枚1,000円と、お好み焼きとしては決して安くありませんが、この牡蠣の大きさと量を考えると満足度は十分です。

隣のグループは一口食べるなり缶ビールを注文していました。ビールにも間違いなく合うのでしょう。

 

3月に向けてまだまだ日生の牡蠣の身は大きくなるとのこと。今からがカキオコを楽しむシーズンの本番です。

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安良田 (あらた) (備前/お好み焼き) - Retty

 

災害が強く意識される現在だからこそ広く読まれて欲しい。『地球の歴史』(鎌田浩毅著)

シンプルなタイトルのとおり、地球の歴史を上・中・下の3巻で解説する新書です。上巻は地球の誕生から、中巻は生命の出現から、下巻は超大陸の分裂と爬虫類の出現から現代、さらに未来予測までとなっています。

書店で軽く立ち読みして、下巻から購入することにしました。歴史とはいえどこからでも読み進められる構成になっている点、恐竜や人類が登場する身近な時代だと理解しやすい点を考慮したためです。

 

本書では、「長めのあとがき」から読むことを推奨します(私はどの本でもあとがきから読みますが)。数ページで地球科学という分野の特徴をのぞき見ることができます。

地球科学は自然科学の一分野だが、自然科学のなかで、これほど「再現性のない」自称を扱う分野も珍しいのではないだろうか。(pp.254-255)

 物理学の論理は、宇宙のどの場所でも、またいつの時代にも普遍的に成り立っていなければならない。これは自然科学最大の特徴で、誰が実験しても条件が揃えば同じ結論が導かれる。これに対し、地球科学では、宇宙に唯一無二の存在である地球を対象とすることで、現代物理学ではまだ説明できない現象も扱わなければならない。(p.255)

そもそも不可逆な現象を多数扱うものだから、理論の通りに進行することが少ない。言い換えれば地球科学は「例外にあふれている」という特徴を持つ。地球の歴史には思わぬ事件が多数登場するが、われわれ地球科学者は起きた現象をできるだけ正確に記述しようとする。(略)しかし、それがなぜ起きたのかという根源的な質問に答えられる場合は、実に少ない。(p.258)

こうした記述を読むと、因果関係を蓋然性の高さで説明する人文系の多くの分野では地球科学に親近感を持つのではないでしょうか。この親近感を得て本文に移ると、難しい専門用語も軽々と飛び越えて読み進められます。

 

下巻では、2億5000万年前から現代までの間、大陸が移動し続けていること、隕石衝突やたびたび起こる大規模噴火などが語られます。それらは気候を左右し、生物に大きな影響を与えます。ヒト出現以降、人間の生活を脅かすのであればそれらは「災害」と呼ばれるでしょう。

しかし、災害の前提にあるのは地球の活動です。個人や地域に降りかかってくる災害を考えるうえにあたり、マクロな視点での地球活動を知っておいてもいいように思います。地球レベルでの動向を踏まえると、各所で叫ばれている近い将来の災害(たとえば南海トラフ地震など)以外の災害の可能性も頭の片隅に置かざるを得ないし、起こるであろう災害に対してもやや冷静な目で見ることができるのではないでしょうか。

 

災害が強く意識されている今だからこそ、本書は広く読まれて欲しいと思います。