40代社会人大学院生、博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

目の前が海の無人駅。さらにコーヒーが加わって充実感増大。@下灘珈琲(愛媛県伊予市)

単線の線路と屋根とベンチしかない下灘駅。ないだけに眼前の海が広く見渡せるうえ、沈むまで夕日を眺め続けることができることで人気の場所。最近は外国人観光客も多い。

無人駅でこれだけ人を集められるという、驚くべき観光地である。

f:id:knada:20171103222930j:plain

f:id:knada:20171103222948j:plain

 

その下灘駅のすぐそばにテイクアウトのコーヒー店、下灘珈琲がオープンしたというので訪れた。

丸っこい車(牽引されるものか)が店舗。かわいい。ホイールのブルーが効いている。

コーヒーは350円。やや苦味の強いしっかり目の味で、店の雰囲気とはギャップがある。

 

コーヒーを受け取り、もちろん、ホームのベンチに座って飲む。他の人たちも片手にカップを持っている。

f:id:knada:20171103222912j:plain

f:id:knada:20171103073910j:plain

f:id:knada:20171103073837j:plain

駅と海にコーヒーが加わっただけなのに、充実感の上昇度が半端ない。

 

下灘珈琲(Facebookページ)

関連ランキング:カフェ | 下灘駅

研究発表はうまくいかなかったが、それでも発表を引き受けたことにはメリットがあった。

先週の日曜日、とある研究会で研究発表をした。

4年前に書いた論文を基に分析対象を広げてさらに大きな論を展開する目論見だったが、分析に見合う資料やデータが得られず、結果的に論文の再検討に近い発表になった。

 

準備段階で改めて自分の書いたものを読むと、意外と鋭い指摘があるなと驚きながら、しかし結論部分での矛盾点が見えてきた。書いたときにはそれなりに自信のあった論文だが、自分が思っているほどは引用されていない原因はここにあったようだ。この点に気づいたことは、今回の発表を引き受けたメリットのひとつ。

結論部分の見直しに向けて、資料の再検討や参考文献の読み込みを続けたものの、なかなかすっきりとはいかず。発表当日、会場のロビーで缶コーヒーを飲みながらギリギリまで結論を迷い、スライドの最後のページを作成できずにいた。

 

さて、時間になり腹を決めて発表へ。最後のまとめは現時点で実証的とは言い難いが、あえて大きなイメージを提示することにした。

終えた後の質疑では若い知人研究者2名から厳しい意見をもらった。こんな状態で出した結論部分に関することはもちろんだが、途中の論の展開についても参考になる意見だった。決してうまくいったとは言えない発表だったが、今後の研究に向けた意見をもらえたのは、ふたつ目のメリット。

 

9月以降予想以上に仕事が忙しく、平日に遅く帰宅してからしか発表準備に手を付けられず、こんな時になぜ研究発表を引き受けたのだろうか、と自分の判断を恨みもしたが、それでも発表したことには意味があった。発表直前の追い込まれた数日間、数時間での思考は、自分の頭の中の何かを少し前に進めた気がする。今回の発表3点目のメリットだろう。

 

発表でも締切のある論文でも、誰かに期限が設けられたほうが、怠けがちな自分の性格には合っている。投稿の締切がないため1年近く抱えて完成をみない原稿がPCのデスクトップに見えているのだが……。 

尾道と百島で強烈なメッセージを受け取る。「CROSS ROAD 2」@アートベース百島ほか

先日、昼前に岡山を出て友人と尾道広島県)へ向かった。現在開催中の「CROSS ROAD 2」を観るのが目的だ。

岡山から尾道までの所要時間は1時間と少し。車さえあれば気軽に行ける距離である。

 

駅近くの駐車場に車を停めて、港近くにある西御所県営上屋3号倉庫へ。錆びた鉄扉がかっこいい。ちなみに近接する2号倉庫は、自転車を部屋に持ち込んで宿泊できるというサイクリスト垂涎?のONOMICHI U2である。

この後、別の会場も観るのでセットの料金1,000円を払って中へ。

f:id:knada:20171022172517j:plain

f:id:knada:20171022172608j:plain

f:id:knada:20171022172550j:plain

ヨコハマトリエンナーレ2017でも展示中のProject God-zilla(柳幸典)は、横浜と異なり離れた場所からの鑑賞になるが、それでも巨眼に投影される映像は迫力ある。同じ空間にF-8E Crusader(原口典之)も展示。

 

尾道港に戻って百島行きの船に乗り込む。尾道と対岸の向島の間の狭い海域を船で通り抜けるのはなかなか楽しい。「尾道水道」と呼ばれるゆえんは、この船から見える景観で納得。

f:id:knada:20171022172621j:plain

 

百島の福田港で下船、そこから10分ほど島を歩く。道端の熟れ始めている柿やみかんで秋が深まりつつあることを知る。

会場のひとつ、アートベース百島は廃校になった中学校を利用したアートセンターとのこと。高台にあり港周辺の集落から見えるこの施設は、もしかしたら百島のランドマークとして定着するのかもしれない。

f:id:knada:20171022172643j:plain

f:id:knada:20171022172716j:plain

f:id:knada:20171022172728j:plain

 

3階建ての施設と体育館に複数の作家の作品が展示してある。

石内都氏の写真をこのサイズで見たのは初めてだったが、今にも動き出して声を発しそうなモノに心を掴まれてしまった。写真集ではなく、大きなサイズで見るべき写真だ。

2017年12月から始まる横浜美術館での個展はなんとしても観たい。

f:id:knada:20171022172741j:plain

f:id:knada:20171022172659j:plain

 

アートベース百島からさらに5分ほど歩くと見えてくる古い映画館、旧百島東映劇場「日章館」。中には映像機器や幟、コカコーラの販売機なども残っている。ここも展示会場だが、映画館だけでも十分楽しめる場なのはちょっとずるいような。 

f:id:knada:20171022172752j:plain

f:id:knada:20171022172816j:plain

f:id:knada:20171022172804j:plain

ここでは100円を入れるとヒノマル・イルミネーション(柳幸典)が始まる。日章館の名とリンクする作品。

日章館とアートベース百島の展示を観ると、最初に訪れた尾道での空間の意味もよく理解できる。多くの人が強烈なメッセージを受け取ることになるだろう。「地域アート」の広がりもあって、誰もが親しみやすい作品が増えているように感じるが、現代芸術はこれくらいのメッセージ性があってもいいと思う。

 

ただ、尾道を散策し、船で百島に渡るという体験だけでも十分心を満たされるのも事実。天気がいい日に再訪したい。

CROSS ROAD 2

尾道駅から徒歩5 分の西御所県営上屋3号の大空間に、国際芸術祭「ヨコハマ トリエンナーレ 2017」でも展示中の柳幸典の大作「God-zilla」がさらにパワーアップして尾道に上陸。「CROSSROAD 1」での原口典之の大作「F8-E Crusader」と対決します。歴史的情緒豊かな尾道水道と鞆の浦との中間に位置する離島「百島」の廃校をアートで再活用したアートベース百島館内では、石内都の写真作品「フリーダ・カーロ」シリーズの展示を行います。加えて百島島内の空き家を再生し、宿泊施設とアート作品の展示空間を兼ねたアートハウス 五右衛門風呂の家「乙1731」を初公開。宿泊施設として改修される過程を公開するとともに、再生された土蔵には原口典之が新作を予定、母屋には尾道市出身の山本基が塩のインスタレーションを滞在制作。最後には鑑賞者と共に作品を海に還すプロジェクトを行います。 尾道商店街の長く空き店舗となっていた「旧八木文教店」は、本展覧会の情報センターとして再生されると同時に新人作家の発表の場となります。

 

会場:百島会場│アートベース百島、旧百島東映劇場「日章館」、五右衛門風呂の家「乙1731」 、尾道会場│県営上屋3号倉庫、旧八木文教店

開館時間:百島会場│10:00〜17:00 尾道会場│11:00〜17:00

休館日:百島会場│月・火・水 尾道会場│月・火  ※ともに祝日開館

観覧料:百島会場│大人 1,000円、大学生 800円 尾道会場│大人 500円、大学生 300円*高校生以下無料

artbasemomoshima.jp 

京都帝国大学の自負とプライド「火焔型土器と西の縄文」@京都大学総合博物館

この秋、京都の展覧会は「国宝」展京都国立博物館)の話題でもちきりだが、京都大学総合博物館でもひっそりと国宝が展示されている。その国宝とは、縄文土器。特に造詣が美しい火焔型土器と呼ばれる土器である。

www.museum.kyoto-u.ac.jp

 

昨年、国学院大学の博物館で好評を博した展覧会を関西に持ってきたらしい。西日本ではなかなかみられない火焔型土器がずらっと並ぶ。

f:id:knada:20171016232313j:plain

f:id:knada:20171016232328j:plain

f:id:knada:20171016232337j:plain

 

縄文土器だけではなく、土偶やエメラルドグリーンの大珠なども。

f:id:knada:20171016232412j:plain

f:id:knada:20171016232426j:plain

f:id:knada:20171016232444j:plain

 

後半は京都大学縄文時代研究を紹介するパートになっている。一見して、細かな土器のかけらがたくさんならんでいるな、と思い、あまり期待せずにパネルを読んでいくと、意外にもこちらのほうがおもしろい展示だった。 

f:id:knada:20171016232515j:plain

 

京都帝国大学は、戦前、考古学研究を邁進する帝国大学の自負とプライドで全国の資料を集めて研究を進めていったらしい。

当時の写真や図、写植指示の版下(?)まで残っているのはさすが京大といったところか。

岡山県の遺跡を調査した際の図もあった。「粒江村」とあるから現在の倉敷市だろう。フリーハンドで描いているにも関わらず精緻。よれよれの折り目やシミ(土に由来か)からは屋外でのフィールドワークを想像させられてワクワクする。

f:id:knada:20171016232503j:plain

f:id:knada:20171016232546j:plain

 

なお、展覧会の出口のアンケートに答えるとオールカラーの図録をもらえる。写真も豊富で読み応えがあるこの図録が無料とは驚き。

図録を入手するためだけに入館料400円を払っても十分元が取れる。

 

火焔型土器と西の縄文

本特別展は、日本遺産認定を記念し、第1部で火焔型土器や同時代の土偶や石棒などの出土品を通して、その実態と魅力を多面的に紹介します。そして第2部では、京都大学の資料によって、火焔型土器と同時期の全国各地の土器を概観するとともに、100年の歴史をもつ考古学研究室が調査した西日本の縄文遺跡の出土品、大学構内や周辺の縄文遺跡の調査研究成果を紹介しながら、西の縄文の視点から火焔型土器について考えます。

会場:京都大学総合博物館

期間:2017年09月09日 - 10月22日

 

欧米から借りてきた理論や方法論は必要なのか?世界で注目を浴びる国産ゲームの現状から思うこと。

一線で活躍する40代ゲームクリエイター(ゲームディベロッパー)の座談会。ある時期、ガラパゴス化して海外から取り残されそうになった国産ゲームだが、海外向けにシフトしてもそんなものは求められていない、という話。

とかく国際化を叫びがちな身近な学問分野にも通じるところがある。

news.denfaminicogamer.jp

藤澤氏:
 結局――「アメリカ人の真似」じゃダメってことだと思います。
 ゲーム業界全体としても、PS3の頃に「海外ウケ」を意識して大コケした記憶があって、今はまだそのリハビリ中みたいな時期だと思っています。
 (中略)

橋野氏:
 日本人が「これが美味しいぞ」と生み出したラーメン文化が、今や世界中でウケるような事実があるわけじゃないですか――それで、いいんだと思います。

 

先に断っておくが、私の専門に重なる人文系のある分野に限って、である。

この10年ほど、海外の大学(と言っても、アメリカとヨーロッパの一部のみ)で学んだ一部の研究者は「国際化」を訴えて欧米の理論や方法論を持ち込むケースがまま見られる。まま、というか、その声は年々大きくなっている。

それはそれで学ぶところもあるとは思うが、これまで国内で築き上げてきた論を安易に飛び越してしまっているように感じるのは私だけだろうか。私も欧米の理論や方法論についていこうとしていた時期もあるが、日本独自に醸成されてきたものを、さらに突き詰めることで世界レベルでのオリジナリティにつながると最近は考えている。徹底したローカリティこそが最強の武器なのでは、と。

 

ちなみに、リンク先の記事は、日々迷い悩む40代は全員読むべきという内容。不惑なんて孔子は本気で言ったのだろうか……。

 

川のまち・広島で丹下健三の企図を確認し、キング軒の汁なし担々麺を食べる

f:id:knada:20170826123521j:plain

 

ほぼ15年ぶりに広島を訪れた。 昨年読んだ『「戦跡」の戦後史』で書いてあることを自分の目と足で確認したかったからである。それは、戦後しばらく経つと原爆ドームは取り壊しの対象であったが、その後保存されることになった、というもの。

なかでも、原爆ドームに特別な意味を見出した、建築家・丹下健三の果たした役割は大きいとされる。丹下は、広島平和記念資料館から原爆ドームまでを一直線でつなぐ設計を行ったのである。

knada.hatenablog.com

 

平和記念資料館の本館は改修中で中に入れなかったが、建物の中心に立つと正面には慰霊碑が見え、慰霊碑からは原爆ドームが見通せる。

慰霊碑から原爆ドームまでの間は、都市公園らしく遊歩道や広場、木々が点在するが、慰霊碑と原爆ドームの間に障壁がないように維持されてるのは、丹下の意図が今でも生きているということだろう。

f:id:knada:20170826123553j:plain

f:id:knada:20170826123722j:plain

f:id:knada:20170826123733j:plain

 

市街地は太田川とその支流がいくつも流下している。いずれも水量が豊富で広島が河口に築かれたまちであることが今になって改めて理解できた。

平和記念公園の東側の川沿いを歩いていると、オレンジを並べているオープンカフェを見つけた。中では観光客らしき外国人グループがドリンク片手に談笑している。川沿いでこうした店舗が可能なのだろうか、と思いながらiPhoneで検索すると、どうやら規制緩和で実施されているらしい。

広島市 - 「水の都ひろしま」水辺のオープンカフェ

http://www.rfc.or.jp/rp/files/18-25.pdf

f:id:knada:20170828214239j:plain

 

オープンカフェのすぐ南側には、宮島行き(!)の船の乗船場があった。これ以外にも川を遊覧する船が行き交っている。

そもそも川沿いに高い柵のある箇所が少なく、広島は川に親しみやすいまちという印象があった。それに加えてのオープンカフェやリバーボートである。広島はすっかり川とともにあるまちになっていた。

まちの成り立ちに由来する特性を活かしている今のあり方は、素直にいいな、と思う。広島を訪れたなら川を堪能すべきだ。

f:id:knada:20170828214259j:plain

 

広島といえば汁なし担々麺(広島出身の同僚談)という訳で、川沿い散策の後はキング軒で昼食をとることに。初めてである。

f:id:knada:20170826123836j:plain

f:id:knada:20170828212949j:plain

f:id:knada:20170826123903j:plain

f:id:knada:20170826123926j:plain

説明どおり細麺を30回程度混ぜる。広く深い丼が混ぜやすい。

口に含むと花椒の強い香りが鼻に抜ける。これはありそうでない味。クセになりそう。 最後に投入したライスは、もちろん合う。

www.kingken.jp 

関連ランキング:汁なし担々麺 | 中電前駅市役所前駅袋町駅

広島だけではなく、東京にも店舗(芝公園銀座)があるとのこと。

「トポグラフィ」と吉野ヶ里遺跡

気になる記事を読んだのでメモがてら思いついたことを書いておく。

はてブでブックマークしてもevernoteにメモしても後で見直すことが少なく、ブログに残しておくことが一番目につく、という意味もある)

10plus1.jp

 

用語の意味するところの分野間での差異

以下、上記リンクの一部を引用する。

「トポグラフィ」という言葉/概念を採用した大きな理由には、「風景/景観landscape」という言葉の使い方の広さ、曖昧さがあった。その言葉は、美術史だけではなく、建築学、地理学から生物学、植物学や地質学に至るまでさまざまな領域で用いられ、その定義はそれぞれ違う。また美学や美術史においても、その言葉を、例えば「浮世絵の風景版画」というように、広い意味で使う者もいれば、狭い意味で使う者もいる。

筆者は「風景」「景観」といった語ではなく、「トポグラフィ」を採用した理由が語られる。

私もこの「風景」「景観」の意味や対象範囲にはよく悩まされている。ぐるぐる回って、最近は開き直って「風景」を使うことが多いが、景観工学分野の知人からはそれとなく使い方の違いを指摘される。

一時「学際化」が喧伝されたことがあったが、「風景」のような語の意味するところを共有しないと分野横断など夢のまた夢であろう。かといって、対象範囲のギリギリを分野間で議論することも時間のムダのような気もする。「風景」の意味が他分野ではこうだからうちの分野でもそれを摘要すべき、といった言説も見られるが、それはそれで自分野内部での議論を放棄しているにすぎない。

分野間で、互い広い範囲を含むのだろう、くらいにふんわり共有できればいいのかな、と思う。目的はその先にあるはずだし。

 

 「トポグラフィ」と吉野ヶ里遺跡

場所それ自身は、意味を持たない。私たちが表象すること──それについて語り、そのイメージを生産すること──こそが、場所に意味を埋め込むトポグラフィという営為なのである。エドワード・サイード(1935-2003)は、それを「心象地理 imaginative geography」と呼んだ。それは、人間が空間に意味を付与した結果であり、なじみ深い空間を「自分たち」の場所とし、なじみのない空間を「彼ら」の場所とする想像上の空間認識である。私たちの目のまえに広がる場所は、トポグラフィによって、意味あるものと化し、理解=意味生成(make sense)可能なものになるのである。したがってトポグラフィとは、それを生産する人びと、そしてそれを消費する人びとの欲望を顕わにする実践の集合体なのである。 

鋭い。

私も「場」を巡るモノコトについて言及することが多少あるが、こうまとめられると、なるほど、としか言いようがない。

 

先日、佐賀の吉野ヶ里遺跡に立ち寄る機会があった。弥生時代の遺跡だが、さまざまな建物が復元されていて遺跡テーマパークといった公園でもある。

 

f:id:knada:20170811205309j:plain

弥生時代には日本列島を代表する巨大集落(都市?)だった丘陵が、その後は多少の居住がありながらも弥生時代ほどの居住密集は認められないようだ。おそらく田畑として利用されていた1980年代、工業団地を目指した工事によって巨大な遺跡が明らかになる。遺跡の重要さが認識されると保存が叫ばれ、そして現在のような復元された弥生時代集落の公園として整備される。

吉野ヶ里遺跡とは、かつて弥生時代集落のあった場所に、現在的な視点での弥生時代集落イメージが埋め込まれているのである。「トポグラフィ」が顕著な例であろう。

この場に巨大集落が存在したことは事実だし、復元も専門家の検証を経ているとは思う。それでも、私としてはこの場が弥生時代の遺跡というよりも、弥生時代イメージの投影により1980年代以前とは異なる意味を見出された場として興味深い。