独り身の40代、大学院進学と博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

社会実験である地域アートには検証が必要では?『地域アート』(藤田直哉編著)

今朝起きて、ネットに繋いでみるとかなり話題になっていたこの記事。記事を読んで今日のミッションが決まりました。仕事帰りに書店に立ち寄ることです。

bylines.news.yahoo.co.jp

 

先月刊行された『地域アート 美学/制度/日本』は、私も仕事で関わったことのある方(ほんの少しだけですが)が執筆しているので気にはなっていた本です。記事を読んで今すぐに手に取らないといけない衝動にかられたのです。

 

冒頭で以下のように本を紹介した後、編著者の方へのインタビューが綴られています。

 『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)が、アート関連本としては異例の反響を呼んでいる。発売即重版が決まり、Twitter上やトークイベントを通じて発売前から現在に至るまで、多数のアート関係者や研究者を巻きこんだ議論が継続中だ。
「地域アート」とは、瀬戸内国際芸術祭や大地の芸術祭をはじめとする、地域密着型のアートプロジェクトのことである。「地方創生」が叫ばれる昨今、ますますさかんになってきているのだが――この本は必ずしも地域アートを称賛する本ではない。

インタビュアーの方の視点も鋭いためか記事全体のエッジが立っていて、単なる本の紹介に留まらず、読者に深く自然と考えさせるのではないでしょうか。

 

「プライド」を満たすための競争

以下、少し引用します。

地方は中央の文化や経済に憧れがあり、中央は地方のその願望を利用し搾取することによって、互いに依存する関係になっています。地域アートで言えば、「芸術」というかたちで、芸大の偉い先生や有名な作家が地元に来てくれることで地方公務員や政治家、地元在住のアーティストのプライドは満たされ、地域に多少なりともお金も落ちる。他方で、中央の側の作家などは東京でスタッフを雇っていたら金銭的にペイしないような大規模プロジェクトを、地域からボランティアを吸い上げることで成し遂げられ、実績づくりにもなる。

瀬戸内国際芸術祭が身近で開催されている地方の立場からすれば、すべてではないにしても、かなり当たっています。一部の「地方公務員や政治家」による「プライド」を満たすための競争は年々加速しているように思います。当初は見向きもしなかったのに、いつの間にか「業績」を自慢する人たちが増えているのです。残念ながら。

 

地方で進められる社会実験

衰退期の日本の地方における、壮大な社会実験ですよね。少子高齢化や低成長そのものは、日本だけで起きているわけではないので、この未曾有の成果そのものは、割と世界史に貢献しうるものなのではないかと思います。

各地で展開する「地域アート」は、 まさに「社会実験」だと思います。ただ、衰退(ある価値観では)というか未経験の社会変化が目前に迫っている地方にとっては明快な対処法が見当たらない以上、実験をするしかないのです。その意味で私は「地域アート」に一定の意義はあると考えます。

また、地方創生の名のもと、バラマキだとか無意味だとかの批判を浴びながらも、実験は様々な形で試みられています。例えば、期間限定で都市部から移住して課題解決に取り組む地域おこし協力隊なども同様の実験と言えるでしょう。

 

偽りの「成功」は弊害にしかならない

問題は実験の検証がなされないことです。特に行政が関われば(関わる案件がほとんどですが)、表向きは美辞麗句を並べた「成功」になってしまいがちです。その実験結果は「捏造」です。それでは失敗に終わった実験も、次に繋がることはありません。

さらに、失敗が「成功」として流布される弊害も大きいでしょう。「成功」とされた実験は良好なお手本として他地域でトレースされてしまうからです。ゆるキャラの乱立はその最たるケースと言えます。(そもそも他地域の事例をトレースすること自体が間違いなような気がしますが)

 

複数の立場、視点からの検証が必要

一方で、地域アートに代表される地域で進められている各種の実験は、何をもって「成功」と判断するのかは簡単ではありません。経済効果?費用対効果?交流人口?ブランディング

目的や目標の設定があいまい(どうとでも取れる)なケースも見受けられるうえ、想定外の成果が得られることもあり、それらを抱え込んだ実験の検証はいよいよ難しくなります。

なので、一つの実験に対して、様々な立場、視点からの検証が必要なのではないでしょうか。実験のデータは可能な限りオープンにしていただいて。

 

批判トーンのエントリになってしまいましたが、瀬戸内国際芸術祭は「成功」であって欲しいと願っています。