40代社会人大学院生、博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

遺構とモニュメントの関係性を考える『「戦跡」の戦後史』(福間良明著)

本書は、広島、沖縄、知覧の3か所の比較を通して「戦跡」を考えるという内容です。戦跡を「遺構」と「モニュメント」に分け、「アウラ」の概念を用いながらその相違や関係性の変化を分析しています。以下、「序章」のアウラを取り上げた箇所を引用します。

戦跡というメディアは、複製だけではなく、ときに「現物」を提示する点で、他のメディアとは異質である。

そこで思い起こされるのは、ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」をめぐる議論である。(略)

この議論を念頭に置くならば、戦跡はしばしば「現物」を展示する点で「礼拝価値=アウラ」を呼び起こすものと言える。写真集や図録に飽き足らず、現地に赴き、遺構の現物を目にしたいという欲求は、遺物や遺構のアウラに接近したいという意図に結びついている。 

とはいえ、アウラ(唯一無二の真正さ)は、遺構や遺物に本質的に結びついているのではなく、社会的に創られるものである。

 

広島の原爆ドームは、戦後しばらくは嫌悪の対象であったけれども、1960年代から遺構として保存する論調が増えてきたと述べられています。原爆ドームアウラが見出されるようになったということでしょう。

そして、原爆ドームの近くにある平和記念公園をモニュメントとして、アウラを見出される遺構と対比しながら論を進めます。

 

このあたりを読み進めながら少し立ち止まったのです。ひねくれた考えかもしれませんが、遺構ではなく、モニュメントにもアウラが見いだされる可能性があるのではないでしょうか。アウラが「社会的に創られるもの」であれば、こそです。モニュメントが実際の遺構の一部を取り込んでいると認識される(実際はされていなくても)とか、遺構を復元しているといったことがあれば、モニュメントにアウラが求められるかもしれません。また、モニュメントにアウラを付与するような言説が広がるケースもありうるでしょう。

こうした場合、遺構にはどういった意味があるのでしょう。

もちろん、実際の戦争の痕跡としての資料的な価値は存在するうえ、アウラ的な視点では創出されるモニュメントに対するアドバンテージは認めます。この点を除けば、認識側の遺構とモニュメントの境界はあやふやになってしまうのではないかと思うのです。

 

さらに、より古い時代の遺構やモニュメントでもあやふやさは同様です。

たとえば今回の熊本地震被災した熊本城跡のケースでは、天守は昭和30年代の復元です。しかしメディアは、被災直後の写真や映像を、熊本城跡が熊本城だった当時(おそらく近世)をイメージしながら伝えているように感じました。メディア側も受け取る側も復元天守アウラを見出していた可能性は十分にあります。昭和30年代ではなく、近世の、です。近世を基準にすれば、復元天守はモニュメントにあたるはずですが。