40代社会人大学院生、博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

研究発表はうまくいかなかったが、それでも発表を引き受けたことにはメリットがあった。

先週の日曜日、とある研究会で研究発表をした。

4年前に書いた論文を基に分析対象を広げてさらに大きな論を展開する目論見だったが、分析に見合う資料やデータが得られず、結果的に論文の再検討に近い発表になった。

 

準備段階で改めて自分の書いたものを読むと、意外と鋭い指摘があるなと驚きながら、しかし結論部分での矛盾点が見えてきた。書いたときにはそれなりに自信のあった論文だが、自分が思っているほどは引用されていない原因はここにあったようだ。この点に気づいたことは、今回の発表を引き受けたメリットのひとつ。

結論部分の見直しに向けて、資料の再検討や参考文献の読み込みを続けたものの、なかなかすっきりとはいかず。発表当日、会場のロビーで缶コーヒーを飲みながらギリギリまで結論を迷い、スライドの最後のページを作成できずにいた。

 

さて、時間になり腹を決めて発表へ。最後のまとめは現時点で実証的とは言い難いが、あえて大きなイメージを提示することにした。

終えた後の質疑では若い知人研究者2名から厳しい意見をもらった。こんな状態で出した結論部分に関することはもちろんだが、途中の論の展開についても参考になる意見だった。決してうまくいったとは言えない発表だったが、今後の研究に向けた意見をもらえたのは、ふたつ目のメリット。

 

9月以降予想以上に仕事が忙しく、平日に遅く帰宅してからしか発表準備に手を付けられず、こんな時になぜ研究発表を引き受けたのだろうか、と自分の判断を恨みもしたが、それでも発表したことには意味があった。発表直前の追い込まれた数日間、数時間での思考は、自分の頭の中の何かを少し前に進めた気がする。今回の発表3点目のメリットだろう。

 

発表でも締切のある論文でも、誰かに期限が設けられたほうが、怠けがちな自分の性格には合っている。投稿の締切がないため1年近く抱えて完成をみない原稿がPCのデスクトップに見えているのだが……。