40代社会人大学院生、博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

ローカルな民俗芸能からも導かれる生き生きとした中世の姿 『乱舞の中世』(沖本幸子著)

サントリー学芸賞受賞のニュースを見て知った本書。数日後、最も興味を惹かれた本書を購入して読み終えました。専門外の人間でも途中でつまづかずに読み進めることができるのは、著者の文章力のおかげでしょう。

 「白拍子」「乱拍子」といった、これまで実態が不鮮明であった点に照射して暗がりを取り去っていく論述は、とても気持ちがよく湧き出てくる好奇心を満たしてくれます。映像記録がない中世や近世の芸能を復元するのに相当な困難が伴うことは想像できますが、この点をまずは文献史料の丹念な検討により明らかにしていきます。

 

そして後半には地域に伝わる芸能も対象となって論が進みます。筆者が地域の芸能を重視していることは、「あとがき」の最後の文章で表明されています。

最後に、私がここまで研究を続けてこられたのは、さまざまな地域の芸能との出会いがあったからにほかならない。その土地その土地で長らく伝えられてきた芸能には、それぞれのすがすがしさがあり、そのすがすがしさに、いつもしみじみ心を洗われてきた。

個人的にはこのパートにのめり込みました。なぜなら、私が民俗芸能に抱いていた長年の疑問が払拭されたからです。

 

各地で伝えられているローカルな地芝居や神楽、獅子舞などの民俗芸能には、古い様相が認められるという考え方(仮説)があります。乱暴に言えば次のような構図です。

 

中央(往々にして都が置かれていた京とその周辺)で要素Aが成立。

やや遅れて要素Aが周辺に広がる。

さらに時間が経過、中央で要素Aは廃れて要素Bに置き換わるが、周辺の一部には要素Aが残っている。

この仮説に従えば、要素成立の時系列は、周辺に見られる要素A→中央にある要素B、と推測できる。

 

この考え方は、柳田國男が「蝸牛考」で提唱した周圏論(方言が中央から周辺に向かって同心円状に伝わる)に近いと言えるでしょう。

 

1年のなかで折々に出会うローカルな神楽や獅子舞を観ながら、上記の仮説は成り立つのだろうか、という疑問を常に持っていました。しかし、文献のみならず、上鴨川住吉神社の神事舞(兵庫県加東市)や黒川能(山形県鶴岡市)などの地域の芸能の観察からかつての芸能の姿を復元する筆者のプロセスは明快で、私の疑問は氷解しました。 

本書は、民俗芸能へのまなざしを変える一冊だと思います。次に出会う民俗芸能は、どのように見えるでしょうか。