40代社会人大学院生、博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

「トポグラフィ」と吉野ヶ里遺跡

気になる記事を読んだのでメモがてら思いついたことを書いておく。

はてブでブックマークしてもevernoteにメモしても後で見直すことが少なく、ブログに残しておくことが一番目につく、という意味もある)

10plus1.jp

 

用語の意味するところの分野間での差異

以下、上記リンクの一部を引用する。

「トポグラフィ」という言葉/概念を採用した大きな理由には、「風景/景観landscape」という言葉の使い方の広さ、曖昧さがあった。その言葉は、美術史だけではなく、建築学、地理学から生物学、植物学や地質学に至るまでさまざまな領域で用いられ、その定義はそれぞれ違う。また美学や美術史においても、その言葉を、例えば「浮世絵の風景版画」というように、広い意味で使う者もいれば、狭い意味で使う者もいる。

筆者は「風景」「景観」といった語ではなく、「トポグラフィ」を採用した理由が語られる。

私もこの「風景」「景観」の意味や対象範囲にはよく悩まされている。ぐるぐる回って、最近は開き直って「風景」を使うことが多いが、景観工学分野の知人からはそれとなく使い方の違いを指摘される。

一時「学際化」が喧伝されたことがあったが、「風景」のような語の意味するところを共有しないと分野横断など夢のまた夢であろう。かといって、対象範囲のギリギリを分野間で議論することも時間のムダのような気もする。「風景」の意味が他分野ではこうだからうちの分野でもそれを摘要すべき、といった言説も見られるが、それはそれで自分野内部での議論を放棄しているにすぎない。

分野間で、互い広い範囲を含むのだろう、くらいにふんわり共有できればいいのかな、と思う。目的はその先にあるはずだし。

 

 「トポグラフィ」と吉野ヶ里遺跡

場所それ自身は、意味を持たない。私たちが表象すること──それについて語り、そのイメージを生産すること──こそが、場所に意味を埋め込むトポグラフィという営為なのである。エドワード・サイード(1935-2003)は、それを「心象地理 imaginative geography」と呼んだ。それは、人間が空間に意味を付与した結果であり、なじみ深い空間を「自分たち」の場所とし、なじみのない空間を「彼ら」の場所とする想像上の空間認識である。私たちの目のまえに広がる場所は、トポグラフィによって、意味あるものと化し、理解=意味生成(make sense)可能なものになるのである。したがってトポグラフィとは、それを生産する人びと、そしてそれを消費する人びとの欲望を顕わにする実践の集合体なのである。 

鋭い。

私も「場」を巡るモノコトについて言及することが多少あるが、こうまとめられると、なるほど、としか言いようがない。

 

先日、佐賀の吉野ヶ里遺跡に立ち寄る機会があった。弥生時代の遺跡だが、さまざまな建物が復元されていて遺跡テーマパークといった公園でもある。

 

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弥生時代には日本列島を代表する巨大集落(都市?)だった丘陵が、その後は多少の居住がありながらも弥生時代ほどの居住密集は認められないようだ。おそらく田畑として利用されていた1980年代、工業団地を目指した工事によって巨大な遺跡が明らかになる。遺跡の重要さが認識されると保存が叫ばれ、そして現在のような復元された弥生時代集落の公園として整備される。

吉野ヶ里遺跡とは、かつて弥生時代集落のあった場所に、現在的な視点での弥生時代集落イメージが埋め込まれているのである。「トポグラフィ」が顕著な例であろう。

この場に巨大集落が存在したことは事実だし、復元も専門家の検証を経ているとは思う。それでも、私としてはこの場が弥生時代の遺跡というよりも、弥生時代イメージの投影により1980年代以前とは異なる意味を見出された場として興味深い。