40代社会人大学院生、博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

個人的な研究について会社から咎められた知人の話 ―補足と、ささやかな願望

先日、モヤモヤしたまま打ち込んだツイートに思いのほか反響がありました。

 

いくつかコメントもいただいているので、少し補足して返事に代えたいと思います。

 

仕事で私と付き合いのあるKさんは、ある企業に勤めながら個人的に研究活動を続けています。研究分野は人文系ですが、私の専門分野とは異なっています。「隣接」くらいの分野でしょうか。

Kさんは、この数年間、民間助成に応募し続けていましたが結果は芳しくありませんでした。しかし、今年、ある助成を得ることができ、業務外の時間(帰宅後や休日)に研究を進めています。Kさんの研究テーマはかなり目の付けどころがよく、着手したスタートラインの時点でかなり有利な位置に立っているように見えます。これまで研究テーマの選択で失敗してきた私にとっては嫉妬せざるを得ない現況です。だからこそ助成を得ることもできたのでしょう。

ところがKさんは、その助成の情報を仕入れた(ネットで公開されています)役員に研究の件で咎めらました。「別のところからお金をもらって高尚な「趣味」に時間を費やす余裕があるのか」と。ここが重要なのですが、彼女は会社の服務規程には違反していません。役員も何らかの違反を指摘している訳ではありません。

では、なぜ咎められたのでしょう?

その点が、Kさんも、彼女とやり取りした私も分からないのです。無理やり理由を推測できなくもないですが、誰もが納得できるものではないと思います。

(私が推測するには、「どこかからお金を取ってくるような能力があるのなら個人的な研究ではなく、会社のために使え。それが会社の拘束時間以外であっても」といった理由でしょうか)

少なくとも社員の勤務時間外の行動(社会通念上問題ない範囲であれば)を、会社が制限するのはいかがなものでしょう。Kさんが勤務するのは、一般的には著名ではないかもしれませんが、東京に本社を置く比較的大きな企業です。それほどの企業であるにも関わらず。

 

大学や研究機関に属していないKさんも私も、研究は仕事と離れて行うものであることは自覚しています。研究を進めようと思えば、1週間のうちの限られたプライベートの時間を充てるしかありません。研究に充てる費用は、多くない収入から割くしかないので、彼女のように助成を得てボーナスステージに突入した状態であれば、可能な限りの時間を費やして研究を進めることになります。大きな成果を挙げるこのうえない機会を逃す訳にはいかないのです。

「趣味」や「遊び」などと言われても構わないので、在野研究者*1の研究に寛容な世の中であって欲しいと願います。

*1:荒木優太2016『これからのエリック・ホッファーのために 在野研究者の生と心得』

子ども版ライフハック本。自分が子どもの頃に読みたかった。『時間の使い方』(旺文社)

今週のお題「プレゼントしたい本」というか、最近子どもにプレゼントした本です。その本とは、春から結構話題になっている「学校では教えてくれない大切なこと」シリーズの『時間の使い方』。

 

高学年になった子どもは、帰宅時間も遅くなり、平日に家で過ごす時間は少なくなっています。一緒に住んでいないので細かなことまでは分かりませんが、好きな本もなかなか読めず、宿題をこなすのにも苦労しているように見受けらます。

 

家での過ごし方について何かアドバイスをしてやりたい、と思っていたところ、以前、書店で手に取って私自信が興味を惹かれた『時間の使い方』を思い出しました。

本書には、「現状での時間の使い方を書き出してみる」「一日のスケジュールを書いてみる」「優先順位の高いものから手をつける」「頭が働く時間帯」といったことがマンガで述べてあります。大人でいうところのライフハック系の内容です。

また、現在の小学生(確か6年生)の時間の使い方平均、といったデータも掲載されていて、見えない誰かと比較できるようになっています。(1日の平均読書時間が5分か6分だったのには驚きましたが……)

私が子どもの頃にこんな本を読みたかったです。時間の使い方なんて誰も教えてくれませんでした。

 

本書を手渡された子どもは笑いながら読み進めていました。ギャグ系のマンガというのが小学生にはちょうどいいようです。読み終えると、子どもは指を折りながら自分の時間の使い方を確認していました。

そして私は時間の有限性を踏まえたうえで、子どもの頃に費やした時間と内容が大人の土台を作ると説きました。子どもには私のような失敗や後悔をして欲しくないという親心からです。100分の1も伝わっていないと思いますが……。

発表は予想以上に好評だったが……

昨日、とある研究会で発表を終えて、軽い脱力感のまま今日一日を過ごしました。

その発表とは、自分が長年向き合ってきたテーマ(テーマC)。ただし、行き詰まりを感じているため、このテーマからはもう離れるつもりです。が、今回の発表のレジュメをまとめる過程で意外とおもしろい視点が見えてきたのでした。そんなことを1か月前のエントリに書きました。

knada.hatenablog.com

 

そして臨んだ昨日。与えられた45分をフルに使って発表しました。盛り込みすぎて早口になってしまったのは反省ですが、満足のいく発表になったと思います。

 

夕方、研究会が終わってから参加者で軽く夕食を採ることに。その場で様々な方から、「同じような視点の研究はなく、おもしろい」「きちんとした論文にしてはどうか」などと予想以上に高評価のコメントをいただきました。これほど受けがいいのも初めてなので照れてしまいます……。

とはいえ、今回の発表(研究)はともかく、さらに先にまでは展開しないだろうと思っています。なので論文の形にまでするつもりはなかったのですが、一方で自分のこれまでの研究の区切りとして論文を書いてもいいのかな、と迷いも出てきています。他人に言われて気持ちが揺らいでしまうのも情けないですが。

 

時間と相談でしょうか。

あっさりタルタルソースと野菜たっぷりのランチ - Le Tablier(ル・タブリエ 高知市)

ランチを食べるために目的の店に向かって歩いていました。途中で黒い看板と奥にのぞく階段が気になったものの、素通りして目的地にむかってしばらく進んでいましたが、どうしても気になって引き返してきました。

階段横に掲げてあったメニューに「タルタルソース」の文字を見つけて階段を昇ることに。タルタルソース、大好物なのです。

f:id:knada:20160909195011j:plain

 Le Tablier(ル・タブリエ)は2階にあります。窓が大きく店内は明るい光でいっぱいです。

すでに予約である程度埋まっていたようですが、1人は入ることができました。後で高知の方にうかがうと、ランチタイムは女性の予約で埋まっている率が高いとのこと。よかったです。

 

窓際の席に座って日替わりのランチ(750円)を注文。窓の外には高知城の堀と緑が見えます。

f:id:knada:20160909194952j:plain

 

この日のランチは、メインが白身魚のフライ。その周りには多めの野菜が配されています。

白身魚は厚く、身がしまっていて濃い味。冷凍ではありません。タルタルソースは刻んだきゅうりが入っていて(めすらしい)さっぱりとしています。夏向けバージョンでしょうか。いくらでも食べられる気がします。

オムレツは具だくさん、にんじん(しりしり?)にはツナが混ぜてあり、スープも野菜たっぷりです。見た目以上に多くの食材が使われているのです。

おいしいだけでなく、これだけの栄養も採れて750円とは。

f:id:knada:20160909194924j:plain

f:id:knada:20160909194933j:plain

f:id:knada:20160909194944j:plain

偶然入ったにも関わらず大満足。おかげで、午後からの仕事のパフォーマンスは劇的に向上しました。

日替わりは平日のみ、土曜日はオムライスなどが食べられるとのこと。

 

le-tablier32.com

Facebookページ(おいしそうな日替わりランチが並びます) 

 

入りやすく過ごしやすい悪魔の純喫茶でモーニング - メフィストフェレス(高知市)

初めて見ると誰もが足を止めてしまう外観。店名はメフィストフェレス。悪魔です。 

f:id:knada:20160907222333j:plain 

サイトによれば創業は1964年とのこと。経営している現代企業社は、高知で18店舗の飲食店を手がけていて地元ではよく知られています。

 

店内はかなり広く、1席もゆったり取られています。暗めの照明で、卓上の小さなライトが手元を明るく照らしてくれます。純喫茶のいいところだけを残したような雰囲気。

 

実は高知はモーニングが盛んな土地。モーニングと言いながらも午後の遅い時間までというのも珍しくありません。それだけ根付いているのでしょう。

 

今回も注文したのはカジュアルモーニング(460円)。厚切りトーストにサラダ、ゆで卵、コーヒーです。サラダの野菜はみずみずしく、若干甘みのある生地のトーストにはまんべんなくバターが塗られており、そしてなにより温かいゆで卵が個人的には高評価です。

f:id:knada:20160907222401j:plain

f:id:knada:20160907222412j:plain

f:id:knada:20160907222456j:plain

食後にはお茶まで付いてきます。

 

f:id:knada:20160907222510j:plain

f:id:knada:20160907222436j:plain

店内には常連とおぼしき年配の方が多く、みなさんゆっくり新聞や本読んだり会話を楽しんだりしています。パソコン開いている人は一人もいません。

とはいえ、常連でなくても入りやすく過ごしやすいのがメフィストフェレス。誰でも入りやすい老舗の純喫茶というのは意外に少ないように思います。50年以上続いているのには、そんな雰囲気づくりもあるのかもしれません。

retty.me

なぜ職場に食料や着替えを置いておかなければならないのか。

f:id:knada:20160419221635j:plain

一昨年、東日本大震災の現場で救助活動に関わった自衛隊の方を講師に招いて話を聞く機会がありました。

講師の方が強く訴えていたことの一つが、職場のロッカーに食べ物や衣料品などの生活必需品を置いておくことでした。

 

批判を浴びた自衛隊

東日本大震災時、災害発生から時間が経って店頭に商品が戻ってきているにも関わらず、自衛隊員がコンビニで食べ物や着替えのシャツを買っていると一般の方から強い批判を浴びたそうです。そんな余裕があるのか、と。また、屋外で缶詰を食べていると多くの厳しい意見にさらされたため、建物内や車中のなるべく見えないところで食事を採るようになったとも。

的外れだと分かっていても、非常時には私も同じように批判してしまうかもしれません。

 

災害時に自衛隊と同じ立場になる人たち

その場で一緒に話を聞いていた中には、公務員や自治会役員といった方々もいました。講師であった自衛隊の方は、特にそういった人たちを念頭に置いて上記の点を強調したのです。

なぜなら、彼ら彼女らは、災害時には確実に救助活動や避難所運営を担う側に回るからです。東日本大震災時の自衛隊と同じ立場になるのです。店頭に品物が並んでいたとしても、批判を回避して業務をスムーズに遂行するためには買い物には行けなくなります。

 

会社員でも批判されないために

会社に勤めている人でも同じ立場に置かれる可能性は十分にあります。避難所として事務所やビルを開放した場合、その施設の勝手が分かった人間が自ずと場の運営側に立つことになるでしょう。ネットの情報にあたる限りですが、今回の熊本地震でも同じようなケースはまま見られるようです。

となると、周りの目を気にして公務員ではなくとも買い出しに行くのは難しくなるかもしれません。

なので私は会社の小さなロッカーに、缶詰(普段のおかずにおいしく食べている「美味しい鯖」)6個と靴下2組、古くなった眼鏡を置いています。これらの出番がないに越したことはないのですが......。

(過去エントリをリライト)

研究成果を広く伝えるためにはコミュニティ間の関わりが重要では

 先日、京都で開催中の「アートと考古学」展を観覧し、エントリをアップしました。刺激的な内容で楽しめる展覧会です。

この 「アートと考古学」展について、昨日の日経新聞のサイトで取り上げられていました。以下、一部引用します。

www.nikkei.com

「日本の考古学は、研究の成果を広く伝えることにまで手が回らなかった」と語るのは各会場のコーディネーターを務める画家、安芸早穂子氏。教科書や展覧会などで復元図を描いてきた経験から「古代のイメージについて学者は正確さを厳密に求めがちだが、バラエティー豊かなほうが良い。より多くの共感を得るにはアーティストとの連携が必要」と指摘する。

 

研究者コミュニティと他のコミュニティ

日本の考古学者が研究の成果を広く伝えることを怠ってきたかどうかは分かりません。

 

考古学に限らず、世の中に大きなインパクトを与える重要な研究や、メディアに取り上げられやすい派手な研究を除けば、成果が一般の人たちに知られることは多くないでしょう。

会社勤めをしながらプライベートで研究をしている私は、アカデミックな世界に属していない割には大学教員との付き合いもある、世間では少数派の人間だと思います。その私が感じるのは、研究者や専門家と呼ばれる人たちの多くが、それ以外の人たちと社会で関わることが少ない点です。

しかしそれは当然です。現在の社会は限られた地理的空間でも、いくつもののコミュニティがレイヤーとして存在しており、一人の人間が重点的に属することができるコミュニティは限られます。研究者は研究が本分であり、研究に関わるコミュニティに滞在する時間が長かれば長いほど、他のコミュニティとの関係は薄くなってしまいがちです。

 

研究成果を広く知ってもらうために、伝えることを得意とするメディアや広告、アートの分野の力を借りることは「アリ」だと思います。ただ、そういった分野のコミュニティと研究者コミュニティの接点は乏しいのが現状でしょう。

この現状を打破するのであれば、重要なのは各コミュニティがレイヤーになっていることです。

 

「アートと考古学」展はなぜ成功しているか

「アートと考古学」展は成功した試みだと思いますが、そのカギは京都という土地にあると私は見ています。京都は京都大学をはじめとする大学が多数あり、それだけ研究者も確保されています。かつ、関西の中では作家やクリエイターといった人たちが多数いる地域です。私の友人や知人にも京都在住で活躍している作家やクリエイターが何人かいます。この点は芸術系の大学が複数あることも大きいのかもしれません。

京都は都市部の割には中心部の面積は広くはなく、ここに研究者や作家、クリエイターのコミュニティがレイヤーとして存在していれば、少しのきっかけでコミュニティ間の接続が可能です。

 

地方こそ研究成果を広く伝えることが可能では

その意味では、実はコミュニティの数が膨大で空間も広くなる東京のほうが、伝えることは難しいのかもしれません。

一方、研究者やクリエイターの数が少ないというハンデはありますが、地方では空間が限られている分、コミュニティ間の接続のハードルは低いはずです。地方こそ研究成果を広く伝える試みが可能なはずです。

できれば、私のような人間が触媒になれれば、と常々思いながら仕事に向かっているつもりですが。

knada.hatenablog.com