40代社会人大学院生、博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

しょっぱい枝豆のような感情が残る夜

今日の午後、パソコンに向かって仕事をしていると、10歳近く年上(50歳と少し)の男性から電話がかかってきた。会社は異なるが、たまに一緒に仕事をする先輩である。

仕事の話かな、と思って電話に出ると「今晩、時間あるか?」との質問。さほど急ぎの用件もないので、と答えると「19:00に公園集合。350mlのビール2本とつまみを買ってきてくれ」と。

 

呼び出された目的もわからず、指定されたものと自分用の麦茶(私の体はアルコールを受け付けないので)を買って公園に向かうと、先輩のUさんは木のベンチに座ってスマホをいじっていたところだった。

日が落ち切っていないなかで輝く電灯の下、金麦と麦茶で乾杯をし、セブンで調達した枝豆を口に入れる。しょっぱい。

 

中年男性2人による公園飲み会は互いの雑談で進み、1時間近く経過したところで、Uさんが切り出した。

「今日は言いたいことがあって呼び出した。お前は40歳を過ぎた今、何を仕事に求めとんや?お前のやりたいことは何や?軸はどこにある?」

黙っているとUさんは続けた。

「仕事でやりたいことをもっと表に出せ。お前のカラーを打ち出せ。あるのかもしれんが、外からはまったく見えん」

 

30代の頃は仕事上での大きな目的があり、その目的をそれなりに達成してきたという自負はある。しかし、40代となった今、周辺の環境も私自身の考えも以前とは変化した。目の前の仕事に対しては成果を出しているつもりだが、その先、ずっと先を見据えるものは、ない。

自分でもなんとなくわかっていたことだが、ずばり指摘されると「はい」と視線をずらして返事するのがやっとだった。最後には「まぁがんばれ」と言われて公園飲み会は解散となった。

帰宅した今もセブンの枝豆のような感情が残り続けている。

強烈な刺激を受けるインスタレーション「志賀理江子 ブラインドデート」@丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

梅雨はまだ明けず、しかし予報と違って晴れ間が少しのぞいていた朝、思い立って展覧会を観に行くことにした。 香川にある丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)で開催中の「志賀理江子 ブラインドデート」である。

 

駅ほぼ直結、谷口吉生設計の美術館

岡山から電車で約1時間、JR丸亀駅に降り立つとすぐ目の前に美術館はある。現代美術館が駅直結(ほぼ)の地方都市なんてそうそうないだろう。

美術館の設計は谷口吉生。直線の美しさを随所で感じることができる。

建築について|美術館について|MIMOCA 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

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強烈な刺激を受けるインスタレーション

さて、「志賀理江子 ブラインドデート」である。

受付で一般950円のチケットを購入して3階の会場へ。白い布をくぐると暗い室内でのインスタレーションが。ネタバレになるので詳細は書かないが、次々と視覚や聴覚に訴えかけられる展示である。サイトやフライヤー(フライヤーは公立館とは思えないスタイル)に掲載されている写真からの想像を軽々と超えている。

さらに、暗い部屋を出た白く明るい小さなスペースには壁にびっしりとテキストが書かれている。「亡霊」(だったかな?)では子どもや写真を通して「イメージ」を問い、「現実」では理想の傍らで日々の生活を重視する人たちを取り上げ、「歌」では戦争体験者にとっての軍歌から物事の多面的な見方を示唆する。

インスタレーションのメインは写真を中心とした暗い部屋であるのは間違いないが、私はこの明るいスペースでの展示がより心に突き刺さった。手元に置いて何度も読み返したいテキストなのである。もちろん、撮影はできないので今は記憶で書いているが、書いているうちに記憶があやふやなところもわかってきたので、これを読みたいがためにもう一度丸亀に足を運ぶつもりだ。しっかりと記憶するために。

 

今回の展覧会は巡回する予定はなく、MIMOCAだけで開催とのこと。

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写真を通して自身と社会が交差する接点に生じる「イメージ」の探求を続ける志賀理江子(1980-)。本展では、2009年にバンコクの恋人たちを撮影したシリーズ「ブラインドデート」を始まりとして、「弔い」「人間の始まり」「大きな資本」「死」などをめぐる考察と物語が綴られていきます。出品作品は、写真プリントの他に約20台のスライドプロジェクターによってインスタレーションを構成。会場に置かれたプロジェクターの点滅は、生、暗闇と光、この世界に相反しながら同時に存在するものごとの隠喩でもあります。私たちの肉眼で見えぬものは何か。その領域をこそ写し出す写真というメディアに懸ける志賀は、出来うる限りの正直さで社会をまなざしながら、人間の生から離れない写真の空間を立ち上げます。

 

会期:2017年6月10日(土)-9月3日(日) *会期中無休

開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)

観覧料:一般950円

*8月19日(土)、20日(日)は観覧無料

志賀理江子 ブラインドデート|企画展|MIMOCA 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

 

併設カフェで食べるたっぷり野菜のライスグラタン

見終えると13:00を過ぎて空腹だったので美術館併設のカフェMIMOCAをのぞいてみた。やや高めの値段に躊躇し、その直後、いつも値段を見て入るのを止めていることを思い出した。これではいつまでも入ることはないし丸亀まで来てそれももったいない、と今回は値段を考慮せずに入店することにした。

結論から言えば入ってよかった。雰囲気がとてもいい。この空間で過ごすことには意味がある。

なお、食べたのは、たっぷり野菜のライスグラタンとコーヒー(1,050円+税)。ライスの上にはチーズとともにトマト、パプリカ、オクラ、ズッキーニといった夏らしい野菜がびっしり。ライスはトマト味でさっぱり。このライスグラタン、次回も食べること間違いなし。

美術館におけるカフェとは、美術館そのものへの印象を左右する重要要素だと思う。今回、MIMOCAへの印象はもちろん上がった。これまでカフェを利用しなかったことを素直に謝りたい。

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龍安寺の新緑を浴びた後は、HOME coffee standに体を預けてコーヒーを。

「青もみじ」といったワードもよく見かけるようになったが、京都の寺社は桜が散ってから夏までの緑も美しい。暑い季節に視覚だけでも涼しむことができる。(実際はもちろん暑いが)

神戸での用件を済ませて午後からフリーになったので、阪急と嵐電京福電気鉄道)を乗り継いで新緑を見るために龍安寺に行くことにした。神戸三宮駅から約1時間30分、降り立った龍安寺駅は錆色の佇まいがいい。

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新緑も美しい龍安寺

駅から北に向かって歩くこと約10分で龍安寺が見えてくる。配された15石のうち必ず1石は見えないという方丈庭園(石庭)で有名な寺院だが、この季節は新緑も堪能できる。木々の葉も屋根や石を覆う苔も鮮やかで、見るにも撮影するにも飽きることがない。

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地元の人に愛されているHOME coffee stand

龍安寺でひとしきり過ごした後は駅の近くまで戻り、細い道を少し入った住宅街にあるHOME coffee standへ。

こちらのカフェは一段高い座敷スペースが広く子ども連れでも安心。トイレも子ども対応になっている。そうした配慮もあってか、地元の方々が気軽に立ち寄るカフェとなっているようで雰囲気がとてもいい。安心して体を預けることができる場といったところか。

そんな雰囲気とは相反して(?)コーヒーはしっかりとした味で年配の方にも好まれそう。量が多めなのもうれしい。

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HOME coffee standのある龍安寺駅付近は生活の香りが漂っていて、たとえば青果店に入って買い物をしながら歩くだけでも楽しい。

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立命館の大学院説明会をのぞいてみた。大学側の丁寧な対応に隔世の感が……

私は来年度からの大学院進学(博士後期課程)を考えている。この数年、進学のための学費を貯め、進学先候補を検討してきた。その1つが立命館大学大学院である。

進学候補の要素はいくつかあるが、現在の私の経済状況では学費の占める割合が大きい。その点では国立か、私立だと立命館あたりしか候補がないのである。

knada.hatenablog.com

 

先日、某国立大学の教員(さほど親しくはないが、学生時代から知っている相手)に、社会人である私を大学院に受け入れてもらうことは可能か問い合わせてみた。返信のメールに「とりあえず主要業績一覧を出して。論文のコピーも送って。中で協議するから」とあり、そのあたり一式を送ったところである。

 

一方、今日は立命館の大学院説明会があるというので、参加するために京都に行ってきた。立命館を訪れるのはほぼ10年ぶりである。

中庭?で充実したサークル活動に勤しむ学生たちを横目に、「〜館」「〜館」と命名されたいくつもの建物を行ったり来たりしながらようやく目的の会場に到着。どの大学もそうだが、キャンパス内が部外者に分かりにくいのは、当初からのグランドデザインに基づく建物配置ではなく、追加で施設を建てていくからだろう。

 

立命館の説明会でまず驚いたのは大学職員の対応がとても丁寧な点。上から目線な物言いになるが、社員教育が行き届いた大企業といった感じである(立命館くらいの規模の私立大学だと十分大きな企業なのだろうが)。

さらに、専攻ごとの説明会での教員の方の説明や受け答えが丁寧なことにも驚いた。進学するかどうか分からない学生の質問に教員がきちんと答えてくれている。たとえそれがささいな質問であっても。

私が通っていた20年前の国立大学では、大学側がこれほど学生に歩み寄るのも、教員が親身に学生の相談に乗るのもあり得なかった。今日見た限りにおいて、大学あげてのウェルカム感がすごいのである。20年前の感覚では到底考えられない状況を目の当たりにしてうろたえてしまった。すっかり浦島太郎状態である。

 

うろたえながらも、こうした職員や教員の姿に好印象を持ってしまったので立命館への進学も真剣に検討することにした。自分の専門に近い教員も在籍しているし。

 

しっかりとした味付けと食感重視の硬派なモーニング@高木珈琲(京都市 四条烏丸)

京都・四条烏丸で宿泊した翌朝、散歩しながら見つけたのは喫茶店でモーニングを食べることにした。やや古ぼけた青い軒先テントには「高木珈琲店」とある。

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店内は想像どおりクラシカルな雰囲気。男性2人が切り盛りをしている。ちなみに、期待を裏切らず喫煙可である。

この日、昼食をいつ食べられるか分からない予定のため、迷わず680円のモーニングをオーダー。

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コーヒーにトースト、ポテトサラダ、スクランブルエッグ、ソーセージと、グリーンな野菜など見あたらない硬派なラインナップ。

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弾力あるトーストには塩味の効いたバターがたっぷり。硬派である。

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しっとりしたポテトサラダはマッシュされていない大き目のポテトが混じり、食感に訴えかけてくる。硬派である。

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ソーセージは噛むとパリッとしている。ボイルしているのではなく、軽く揚げてあるようだ。硬派である。

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コーヒーはクラシカルな風味で苦味が前面に出る。硬派である。

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全体的にしっかりとした味付けと食感を重視している点が統一されているのがいい。朝から続々と入ってくる人たちで支持されていることもよく分かる。
 

烏丸通りを渡って少し東に入ると道幅が狭くなり、古い建物も残っている。朝の散歩にちょうどいい。

打ち水を至るところで見かけるのは京都ならではか。

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中華粥と具がぎっしりの点心を、新橋でリーズナブルに@花茶坊

仕事で梅雨入りした東京に向かった先日のこと。午後からの打ち合わせを終えて、仕事仲間のAさんから夕食に「中華粥とかどう?」と誘われて二つ返事で了承した。中華粥なんてなかなか食べる機会がないため、そのワードを聞いただけでテンションが上がってしまったのである。

 

新橋の駅から7〜8分ほど南(汐留方面)に歩いたところに目的の花茶坊はあった。道を挟んで反対側にあるスープカレーの店やおでんの店にも惹かれるが、初志貫徹。

幟が立っていたり、入口付近にメニューがペタペタ貼られていたりと、大衆的な雰囲気にあふれている。

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店内はテーブル3つとカウンターだが、先客の3組はいずれも20〜30代とおぼしきカップル。店の外観からはおそよ想像のつかない客層だ。 

 

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Aさんにすすめられるまま、点心セット(800円)をオーダー。ほどなく運ばれてきたトレーには、中華粥、せいろにに入った点心、チンゲンサイ、ザーサイが載っている。 

 

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中華粥はごま油が垂らしてあるのと、多少の塩以外の味付けはされていない。テーブル上にある塩、醤油、豆板醤、酢、練がらしなどで味を調整して楽しむスタイルらしい。個人的には酢と豆板醤の組み合わせが好みだ。そして、時間の経過とともにしんなりして粥になじんでくるレタスがいいアクセントになっている。 

 

 

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焼売3種はいずれも具がぎっしり入っていて食べ応えがある。それぞれ、海鮮(黃)、野菜(緑)、肉(白)。えび餃子?ワンタン?(写真右端)はエビのみを包んだシンプルなものだが、逆にエビの味が際立つ。

点心の味付けも想像するよりもあっさり目。必要であれば、醤油や酢で、ということだろう。私はそのままでちょうどいいくらいだった。

 

写真では分かりにくいが中華粥の丼は深さがあり、ある程度は水分が占めるとはいえ結構なボリュームなうえ、点心も具だくさんである。中華粥だと高を括っていたが翌朝まで空腹を感じることはなかった。この味と量で800円はお得。

周りのカップルは点心や中華粥を単品でいくつか注文し、アルコールとともにシェアしながら食べていた。夜はこうした使い方をされる店なのだろう。

他のメニューも期待できるので、これは再訪したい。

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特別展「茶の湯」で茶器を堪能し、考古展示室で人物埴輪に圧倒される@東京国立博物館

まださほど暑くなっていなかった5月、特別展「茶の湯」を目的に訪れた上野の東京国立博物館。この日は別の用件が入ってしまい、博物館に着いたのは閉館まで2時間強という時間だった。

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特別展会場は敷地奥の平成館。ここに入るのは初めてのような気もする。展覧会の性質か和装の人も少なくない。

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 見知らぬ人と感想を述べ合ってしまう展覧会

茶の湯」では室町時代から江戸時代を中心に近代までの茶器が展示されており、メインは侘茶の誕生から千利休による侘茶の完成だろう。千利休登場までの流れと、千利休以後の展開といったストーリーのように見受けられる。

通常の展覧会であれば1点でも集客できるレベルの茶器がこれでもかと並ぶ。それぞれをじっくり観察してまわると見終わるころには疲労困憊である。それでもほとんどの観覧客は詳細に茶器を観ている。小さな資料が大半のため、少し人だかりができると隣の人と近づいて観ざるを得ないが、見知らぬ人と目の前の資料を前に一言の感想を述べ合う稀有な状況に落とし込まれるのもこの展覧会ならではかもしれない。

 

信長の野望」ファンはその世界の一端に触れることができる

私が茶器の存在を知ったのは、中学生の時にプレイした「信長の野望 武将風雲録」だった(1990年発売)。戦国期を舞台にした有名SLGの4作目で、当時、PC-8801を持っていた友人の家に上がり込んで遊んでいた。

武将風雲録」では、配下武将の忠誠心の上昇や茶会の開催に茶器が用いられるというシステムとなっていた。戦争を前面に押し出した戦国期のゲームに登場した茶器は新鮮で、限られた数しかない茶器のコレクションに腐心したことも思い出す。

茶の湯」で何十点もの戦国期の茶器に囲まれると「信長の野望」の一部を仮想体験しているような気になる。戦国期の城館跡に立つのとはまた違った体験である。これだけの茶器が集まる展覧会はこの先数十年は開催されないだろうから、「信長の野望」ファンはこの展覧会で茶器システムの一端に触れるべきだと思う。

なお「武将風雲録」に登場した茶器の一部は「茶の湯」に展示されている。

 

予習は『へうげもの』で

この展覧会の中核をなす侘茶の誕生から完成は、古田織部を主人公とする『へうげもの』(山田芳裕著)の舞台そのものである。『へうげもの』は史実をベースにしたフィクションであるが、戦国武将の茶器への視点や、茶の流れと茶器の変遷がこれほどわかりやすい作品はないように思う。

今回、展覧会を観る前に『へうげもの』を読んでいったのだが、展覧会のストーリーを瞬時に把握できた。「茶の湯」は6月4日までの会期だが、可能であれば観る前に『へうげもの』(特に5巻あたりまで)で予習することを強くおすすめする。

ミュージアムショップで『へうげもの』を販売してもいいように思うが……。

 

特別展「茶の湯

12世紀頃、中国で学んだ禅僧によってもたらされた宋時代の新しい喫茶法は、次第に禅宗寺院や武家など日本の高貴な人々の間で浸透していきました。彼らは中国の美術品である「唐物」を用いて茶を喫すること、また室内を飾ることでステイタスを示します。その後、16世紀(安土桃山時代)になると、唐物に加えて、日常に使われているもののなかから自分の好みに合った道具をとりあわせる「侘茶」が千利休により大成されて、茶の湯は天下人から大名、町衆へより広く普及していきました。このように、日本において茶を喫するという行為は長い年月をかけて発展し、固有の文化にまで高められてきたのです。

本展覧会は、おもに室町時代から近代まで、「茶の湯」の美術の変遷を大規模に展観するものです。「茶の湯」をテーマにこれほどの名品が一堂に会する展覧会は、昭和55年(1980)に東京国立博物館で開催された「茶の美術」展以来、実に37年ぶりとなります。
各時代を象徴する名品を通じて、それらに寄り添った人々の心の軌跡、そして次代に伝えるべき日本の美の粋をご覧ください。

会期:2017年4月11日(火) ~6月4日(日)

会場:東京国立博物館 平成館

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考古展示室では埴輪の造形美を観ることができる

茶の湯」の会場を出た1階の大きなソファでは多くの人が休憩している。その付近にある考古展示室に入る人は残念ながら多くはないが、ここでは造形美にすぐれた、人物、家、鶏、馬などの埴輪を観ることができる。

これらの埴輪は、5〜6世紀を中心に制作されたものだろうが、この時期の人物の服装や髪型をビジュアルで理解できる限られた資料である。平たく結わえられた髪、前綴じの服、玉を連ねた首飾り、いれずみと思われる表現、頬を覆う兜。

古代〜中世の絵画資料に表現される人物との違いは、人物を彩る服装や髪型がそれぞれの社会の規範によることを示しているのだろう。

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