40代社会人大学院生、博士を目指す。

岡山を拠点とする年齢的にも経済的にも余裕のない社会人が、少しでも研究実績を積み上げようとあがいています。

メモがあるからこその資料的価値-「よみがえる沖縄1935」@立命館大学国際平和ミュージアム

4/13から始まったKYOTOGRAPHIE。毎年GW前後の時期に京都市内各所で写真を展示するイベントで、タイミングがあえば見に行くようにしている。お金かかってるなー、と感じるだけあって会場での見せ方や設営のセンスがいい。

 

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今年、とりあえず「よみがえる沖縄1935」を立命館大学国際平和ミュージアムで見てきた。

www.ritsumeikan-wp-museum.jp

 

展示されている1935年の沖縄の写真は、近年、朝日新聞大阪本社で発見されたもの。昨年、横浜の日本新聞博物館で開催された展覧会の巡回展である。当時、ネットで結構話題になっていたので、京都で見られることを知って早速訪れた。

 

写真には、糸満那覇の生活感あふれる人々や豊かな自然、独特の瓦屋根を戴く集落などが写っている。

特に印象的だったのは那覇のウフマチ(大町)の写真。活気のある市場のなかには、洋装をした女性や日傘をさす人も見える。売買の状況や商品も知ることができる。AIで着色された写真からより多くの情報を引き出すことができた下記の記事も読むとさらにおもしろい。

withnews.jp

277コマ発見されたうちの100点前後が展示されており、撮影場所や時期が判明しているだけに資料的価値は高い。

 

後半には、当時撮影した朝日新聞社の記者の写真やフィルムなどが少し展示されている。

印画紙の箱にフィルムと一緒に入っていたというメモには、番号ごとに撮影状況が記録されている。番号はフィルムのコマ数だろう。対象を撮影する前に、その状況を記したものを撮影する「写し込み」(工事現場や建築現場では黒板に書いたものを写し込む)はされていない。写し込みがなされないのは、フィルムがいかに貴重だったかを物語っている。それだけにメモがフィルムと一緒に残っていたことの意義は大きい。このメモがなければ(メモと対照できないフィルムもあるかもしれないが)、写真の資料的価値が激減してしまう。メモをきっちり取っていたのは、さすが新聞記者といったところか。

 

建物の裏にある大きな桜はようやく散り始めたくらいで、数日は花が残っていそう。

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4月から大学院に通うことを決めた40代の友人。決断までの最大の障壁は成功してる今の事業だった。

先週、同年代の友人Kと夕食を共にした。彼が院試に合格したことを祝うささやかな祝宴である。

 

Kは芸大を卒業後、各地を転々としながらアーティストとしての活動を続けてきた。数年前、岡山県内のある地方に移住し、現在はひとりでカフェを営み、同時に作品も制作している。

その彼が、とある芸大に勤める作家兼教員に大学院(修士課程)への入学を勧められたのが昨年の春。作家としてのスキルを理論的な面からをブラッシュアップさせたいと考えていた彼にとって新たな選択肢が見えたのだろう。それから実際に大学を見学するなどして大学院へ通うことを真剣に考えることになった。が、年末の院試までの期間、相当に悩んだらしい。

結果的には院試に合格し、4月からは大学院に通うことになった。大学に通える東京都内に移り住むことになる。

 

Kが大学院へ進学することをためらった最大の障壁は、現在営むカフェであったという。カフェの営業は軌道に乗っており、当初の予定以上に利益も出ている。2年間通学して生活するだけの貯金はあるものの、順調な事業を手放すのに相当な勇気が必要なのは容易に想像できる。

それでも大学院に通うことを決断したKに敬意を表したい。思うように研究を進められていない私自身にとっても、彼の決断と行動は刺激になる。

 

2019年に達成すること(+2018年の振り返り)

年も明けてすでに2週間経過したが、2019年に達成することを掲げたい。

その前にまずは2018年の年頭目標を振り返ってみる。

 

2018年の年頭目標はどうなったか

knada.hatenablog.com

1 上半期に論文(論文03)投稿

結果的には10月になったが無事論文を投稿した。2019年3月公表予定。

 

2 下半期に論文(論文02)投稿

現在、執筆中。

この論文の内容について大学で数回発表した。発表の場で、論文の内容を分割したうえ、それぞれを膨らませたほうがよい、とのアドバイスをいただいた。そのため、追加で調査、データ作成を実施したところまでで2018年が終わった。

 

3 大学院進学

なんとか合格して大学院に通っている。

knada.hatenablog.com 

 

4 筋肉量をさらに増やす

 △

ジムに行く回数が減ったので増えてないかも……。

 

残念な状態の目標もある2018年だったが、2019年の目標を。

1. 2月中に論文投稿

現在執筆中の論文を近々雑誌に投稿する。博士論文の第2章になる予定。

 

2.  秋に論文投稿

博士論文の第3章にあたる論文を半年で完成させる。

 

3. 心と身体の調子を取り戻す

秋にうつ病になり、現在も睡眠薬がないと深い眠りを得られない。が、朝は起きられず、研究に割く時間を確保するのが難しくなってしまった。心身不調の原因は判明しているので、元凶から遠ざかることで元の生活を取り戻したい。

2018年 お気に入りの本3冊

2018年も12月30日になった。昨年に引き続き、今年読んだ本の中で特に気に入っている3冊を紹介したい。(自分の専門分野を除く)

 

『はじめての沖縄』(岸 政彦)

対象のモヤモヤを、モヤモヤのまま捉えようとするスタンスが岸政彦さんの魅力だと思う。 それはこの本でも同様である。タイトルで「はじめての」とうたっているが、沖縄をより深く知ろうとする人にこそ、モヤモヤが伝わるような気がする。

終章で、社会を人びとのつながりだとすることに対して「私たちは、実はつながっていないのではないか」との一文には、はっとした。 「つながり」の語を用いるにしても、それがどのレイヤーでのつながりなのか十分に自覚する必要があるのではないか。

 

ちなみに、「よりみちパン!セ」シリーズが発行所を変えて再出発したことを、この本で初めて知った。新曜社には、石川直樹さんの『いま生きているという冒険』をもう一度出して欲しい。石川さんが高校生のときに撮ったというガンジス川の写真は、『いま生きているという冒険』で文章と併せて見るべきかと。

 『倭の五王』(河内春人)

限られた史料を駆使し、通説に対して静かに理詰めで挑むスタイルに引き込まれて終盤は一気に読んでしまった。専門分野であればあるほど通説を疑うこと自体が難しいはずで、テーマ的にも高い壁をなんとかして越えようとする姿勢は文章からも十分伝わってくる。

 

そして、今年も中公新書はいい本出すな、と。

 『風景論』(港千尋

東日本大震災の場から始まり、世界の各地を巡りながら「風景」に向き合い続ける。写真家だけに、挿入される写真がいい。パラパラめぐるだけでも楽しめる。

 

冒頭に次の一文がある。

「見知らぬ土地を歩きながら、普段とは違った風光に触れるのは、人間の喜びである。」

「風景論」でありながら「風景」の登場より前に「風光」の語を用いる意図に唸らされる。

 

 

2018年 満足度の高かった展覧会

2018年も終わりに近づいているので、昨年に引き続き、1年間に訪れた展覧会のうち、よかったものを振り返ってみる。ただ、今年は例年に比べて展覧会を観ていないうえ、印象に残るものも少なかったのでふたつのみ。

 

「石内 都 肌理と写真」@横浜美術館

 ひとつは横浜で開催された「石内 都 肌理と写真」である。

今でも頭に焼き付いているのは横須賀を写したモノクロの風景、特に山口百恵さんのピンナップの下に気だるそうに座る若い男性の写真。「横須賀ストーリー」の写真は機会があればまた観たい。

knada.hatenablog.com

 

「20世紀の総合芸術家 イサム・ノグチ ―彫刻から身体・庭へ―」@香川県ミュージアム

もうひとつはイサム・ノグチの展覧会。大分から始まり東京まで巡回した展覧会を、私は香川で観た。香川はイサム・ノグチがアトリエを構えていた地である。

イサム・ノグチの彫刻や庭園は知っていたが、北京ドローイングや舞台美術関連資料はこの展覧会で初めて見た。これからも各地で出合うであろう彫刻や遊具の見方が変わるかもしれない。

展示室にひっそりと置かれていた香川の作品マップ(高松市内にも結構ある)も嬉しかった。 

 

広く研究への門戸が開かれているのが、奨励研究ではなかったのか。

平成31年科研費(奨励研究)の変更点

科研費の公募が始まっている。

私は研究機関に所属していない(研究者ではない)ので、これまで応募できたのは、奨励研究のみである。しかし、今回の公募の変更点をみると、もしかすると私は対象ではないような気もしてきた。

以下、奨励研究の主な変更点を引用する。(強調は筆者)

<平成31年度における主な変更点等>

(1)教育現場等での実務に基づく、教育的・社会的意義を有する研究を助成し、奨励する本種目の目的や趣旨に即した応募を促進するため、平成31年度公募から応募資格について、「教育・研究機関や企業等に所属する者」を対象としました。そのため、応募時点において、所属組織の長等が証明した「在籍確認書類」の提出が必要となります。

(2)奨励研究の補助事業期間終了後に、「研究成果報告書」の提出を新たに義務付けることとしました。
(3)応募用ID・パスワード取得申請の期限を設定しました。
  ※応募用ID・パスワード取得申請期限:平成30年10月31日(水)午後4時30分(厳守)

奨励研究に応募するには、応募用ID・パスワードを取得申請する必要があります。ついては、応募用ID・パスワードの取得申請期限までに、奨励研究応募用の科研費電子申請システムに取得申請を行ってください。期限までに取得申請が無い場合、奨励研究に応募することができません。
(4)科研費による研究は、研究者の自覚と責任において実施するものであるため、研究の実施や研究成果の公表等については、国の要請等に基づくものではなく、その研究成果に関する見解や責任は、研究者個人に帰属されることを明記しました。
(5)研究者が遵守すべき行動規範について明記するとともに、研究代表者が、研究遂行上配慮すべき事項について内容を理解し確認する必要があることを明記しました。 

(締切は、2018年11月7日[水]16:30)

 

広く研究への門戸が開かれているのが、奨励研究ではなかったのか

これまでの奨励研究では、実質的には所属に関係なく誰でも申請できた。

私は地方の小さな会社に務めている。教育関係でも研究関係でもない。あえて言うなら、教育関係者や研究者に業務で接することがある程度だ。企業ではあるので、申請はできるとは思うが、果たして対象となるのかどうか。

 

さらに先日、仕事が原因でうつ病と診断されてしまい、現在の会社を退職するか迷っている。うまく転職できたとしても、申請時と採択時で所属が変わっていれば、仮に科研費が採択されるとどうなるのだろう。フリーランスになっていれば採択は取り消しになるだろうし。

 

そもそも「教育現場等での実務に基づく、教育的・社会的意義を有する研究を助成し、奨励する本種目の目的や趣旨に即した応募を促進するため」であれば、「教育的・社会的意義を有する研究」さえ行えればいいのであって、申請者(採択者)の所属の有無は関係ないように思う。

所属や所属の有無に関係なく、広く研究への門戸が開かれているのが、奨励研究ではなかったのか。

 

大学院に合格したが、得体の知れない何かに身体を絞られているような感覚が続いている

大学院(博士後期課程)に合格した。4月から約20年ぶりに大学に通うことになる。

半年前に想像していたのは、3月はやる気に満ち溢れて、研究へのモチベーションも高い状態が続く自分の姿。しかし、現実はまったく違っていた。

得体の知れない何かに、内蔵から手足の先までを、雑巾かペーパータオルのようにきつく絞られているような感覚になっているのだ。

 

2月の終わりに受けた院試、ペーパー試験はともかく、面接はさんざんな結果だった。

私の専門に近い3人が面接官である。3人から順に質問を受けたのだが、結局のところ、これまでの研究実績の8割を否定されてしまった。

1人目の質問が終わるころには不合格を確信した。

 

院試を終えて梅田に向かう帰りの電車では、もう研究をやめるしかないな、という思いになっていた。大学院不合格よりも、これまで書いてきた論文のほとんどが評価されていなかった点が堪えた。

 

それから10日ほどの間、新たな論文を書いて別の大学院を受けよう、とたまに思うなどしたが、それも長くは続かず、ほぼ打ちひしがれた状態で過ごしていた。

合格発表の日、ネットで確認できることは分かっていたも、それを見る気にはなれず。たまたま午後からの出勤だった翌日、午前中を自宅で過ごしていると書留が届いた。手渡された封筒の厚さで合格したことが分かった。

 

ほぼダメ出しをされた場で研究をしなければならないという現実が急に襲ってきた。

自分にそれが務まるのか?博士論文にまでたどり着くことなどできるのか?

格通知を受け取ってから一日以上経ったが、身体が絞られるような感覚がずっと続いている。